宜野湾市議会 2022-12-23 12月23日-09号
しかし、大山給食センターは、1965年、昭和40年に本市で初めてパンやミルク、おかずの完全給食をスタートさせた57年という長い歴史があるのです。その時代を考えると、満足に食べられない子供たちの貴重な栄養源であったと思います。 また、教育委員会が行った大山小学校での保護者説明会の中でも、多くの方が統合に納得をしておらず、保護者は単独校の給食は食育の面や教育の面に大きなメリットがある。
しかし、大山給食センターは、1965年、昭和40年に本市で初めてパンやミルク、おかずの完全給食をスタートさせた57年という長い歴史があるのです。その時代を考えると、満足に食べられない子供たちの貴重な栄養源であったと思います。 また、教育委員会が行った大山小学校での保護者説明会の中でも、多くの方が統合に納得をしておらず、保護者は単独校の給食は食育の面や教育の面に大きなメリットがある。
主な質疑内容として、美里第二土地区画整理事業については30年以上の長い期間がかかっているかと思うが、事業計画通りに進んでいるのかとの質疑に対し、美里第二土地区画整理事業は昭和58年から事業を開始しているが、事業計画を7回延伸しており、現在の事業計画では令和6年度が終了予定年度となっている。しかし、令和6年度中での事業完了も難しいと見込んでおり、令和8年度の事業完了を目指している。
1975年、昭和50年7月、伊佐区内の埋立て市有地に、沖縄市、北谷町、宜野湾市の2市1町によるし尿処理場建設の話が持ち込まれ、建設反対闘争の大問題になりました。早速、緊急役員会、臨時区民総会が開催され、いかなることがあっても反対押し通すことがそこで決議され、子々孫々のためにも永代にわたって美しい地域を守るべく、区民の力強い意思が集結したとあります。
昭和52年、1977年11月15日、当時中学1年生、13歳、横田めぐみさん、北朝鮮に拉致されて今年で45年となります。1991年以来、政府は機会あるごとに北朝鮮に対しては拉致問題を提起してまいりましたけれども、北朝鮮はこれを否定しておりました。それが2002年9月の第1回日朝首脳会談によって、ようやく初めて拉致を認め謝罪し、再発防止の約束をしているという状況であります。
昭和から平成になり、そして令和と、地域コミュニティがどんどん衰退化しているように思えてなりません。生まれ育った地域を大事にすることは「故郷」を憂い、心のよりどころと安らぎの地を得ることに等しいと考えます。そこで琉球王朝時代の女流歌人、吉屋チルーの琉歌を紹介させてください。
市民広場には現在4つのバックネットが設置をされておりますけれども、設置をした経緯については資料が残っておらず、詳細については不明でございますけれども、昭和53年10月の市報記事によりますと、広場の整備には海兵隊の機材提供、市老人クラブ、宜青連などと市民の皆さんの強力な奉仕作業によって広場として形を整えたとありまして、また昭和57年4月の市報でございますけれども、その中の記事では野球場のバックネットが
沖縄市農民研修センターにつきましては、昭和58年1月に竣工し、令和5年1月で築40年でございます。 ○瑞慶山良一郎議長 小谷良博議員。 ◆小谷良博議員 ありがとうございます。やはり築40年にもなると、いろいろと劣化、故障が出てきていると思いますが、質問の要旨②現状で剥離、漏水、器具などの故障があるかお伺いをいたします。 ○瑞慶山良一郎議長 経済文化部長。
4点目の質問について、議員指摘のとおり、農林水産業振興補助金について昭和58年に創設され、改正を重ねながら現在の交付規程となっております。現在では補助対象が多岐にわたっており、30年以上継続されてきたことが本村の農業を支えてきたと認識しております。
また、運営負担金の負担方法としては、行政と農協が負担することとしており、その内訳は、糸満市と八重瀬町、そしてJA糸満支店とJA具志頭支店が規定する負担割合に応じ、本島南部土地改良区の前身である本島南部地域国営土地改良事業推進協議会の設立時の昭和58年より現在まで負担している状況であります。 ◎総務部長(福元信美) おはようございます。御質問、件名3、教育行政について。
本市は、昭和40年、旧平良市と岡山県津山市、ハワイ州マウイ郡、平成19年には宮古島市と台湾基隆市が姉妹都市を提携しております。友好都市は3都市、交流都市は5都市と提携を結び、物産交流や人の交流を行っております。 お伺いします。今申し上げた都市との行政職員の人事交流は現在行っているのかどうかお伺いします。
ただ、前からお話しているとおり、昭和43年都市計画を決定して、今年でもう54年、その間、地権者の方々は土地を使えずに、自分の土地を使えないものですから、お墓を建設をしていると、そのお墓の数が117基と、非常に数が多くなっているのが現状です。前回質問してから、今までのこの進捗状況、それを伺います。 ○呉屋等議長 建設部長。 ◎石川康成建設部長 改めまして、こんにちは。
仮設避難港開発のこれまでの経緯及び取組でございますけれども、昭和30年代当時、本市においては土地の不足が急速な都市化によって顕在化いたしまして、西海岸地域の埋立てが着目されまして、宜野湾市と民間企業による代替施工により89.3ヘクタールの埋立てを実施してきたところであります。 議員御質問の仮設避難港でございますが、昭和47年にほかの埋立て工事用として仮設港が設置をされてございます。
自衛隊の沖縄配備は昭和46年6月、日米安全保障協議委員会において承認された沖縄の直接防衛責任の日本国による引き受けに関する取り決めにより行われたものと認識しております。役割としては国の防衛、災害派遣、国際平和協力活動が挙げられ、その役割を担うための装備や機能が備わっているものと認識しております。
来年の3月退職の方まで同じような取扱いということで、昭和38年生まれの方からが1歳ずつ定年を延長するということでございます。 ○呉屋等議長 進めてまいります。 日程第3.議案第81号 宜野湾市行政手続オンライン化条例の制定についてに対する質疑を許します。桃原功議員。 ◆26番(桃原功議員) すみません。
なお、昭和38年度生誕の職員への情報提供等については、公布の日からの施行としております。本条例の施行に関し必要な経過措置を、附則の第2条から附則第16条までで整理をしてございます。 資料の4ページ以降におきまして、本条例の概要、地方公務員法等の一部を改正する法律の概要、国家公務員法等の一部を改正する法律の概要をそれぞれ参考資料として記載をしてございます。
共に昭和53年に開館、供用開始されて、昨年の令和3年に取り壊し、現在更地の状態にございます。今後どのようなスケジュールとなりますのか伺います。 ○呉屋等議長 市民経済部長。 ◎国吉孝博市民経済部長 棚原議員の御質問にお答えいたします。勤労青少年ホーム及び勤労者体育センター跡地につきましては、今後、行政財産の用途廃止手続を進めていき、当該用地が普通財産へと所管替えとなる見込みでございます。
続きまして、市指定文化財としまして、昭和13年にコンクリートで建造された社殿、鳥居、手水鉢が指定となっております、先ほどありました泡瀬ビジュルがございます。そのほかにも市内には登川の碑、知花花織の打掛(ウッチャキ)、鬼大城(ウニウフグスク)の墓、諸見里の村旗、室川貝塚、古謝のビジュル等がございます。現在のところ国指定が1件、県指定2件、市指定24件の文化財がございます。
「旧公民館は、昭和45年に高等弁務官資金を活用し建設をされました。51年間、区民に親しまれてきましたが、老朽化が進み、安全性が危惧されるようになり、中原区では平成12年より積立てを開始し、平成25年に新公民館建設委員会を結成し、市へ公民館建設の要請を行ってきました。平成26年頃に補助額の大きい統合事業で防衛庁予算で実施のめどが立ってきました。
駐留軍関係離職者等臨時措置法とは、在日米軍基地で働く労働者が離職を余儀なくされた場合の対策を定めた唯一の法でございまして、昭和33年に5年間の時限法として成立いたしました。以後、5年ごとに有効期限の延長となっておりまして、令和5年5月16日で有効期限を迎えることから、全駐留軍労働組合沖縄地区本部より、同法の延長に対し沖縄市長に要請及び沖縄市議会議長に陳情がございました。
宜野湾市では、住居表示に関する法律が昭和37年に施行されています。この質問は、令和2年の6月と12月、令和4年の3月にも質問しましたが、宇地泊第二土地区画整理事業は工事も終わり、確認測定及び換地計画事業、換地処分手続が行われているところでありますが、改めて質問したいと思います。 今回の住居表示は、宇地泊の第一と第二土地区画整理事業が終了したので、番地から町(丁目)に変えるのが目的です。